のりおの声

2014年10月

 10月の声を聞いて、さすがに涼しくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。改造安倍内閣も発足し、9月29日からは臨時国会も始まりました。
 今度の国会は地方創生国会と言われています。日本経済全体もさることながら、特に地方の経済、のみならず、高齢化、少子化、過疎化の進展の中で、地方の存立そのものが脅かされつつあります。
 しかし、このことは、地方に限った話ではなくて、日本全体が直面している問題の一断面にすぎません。経済との関係で言えば、国内の需要が減少する、必要な労働力が確保できない、生産能力が落ちるといった悪循環に陥ってしまうことになってしまうということです。
 対処の方法は大きく二つしかないと思います。一つは本気でアジアの市場に参加することです。もちろん日本企業はアジア各国に既に多く進出しています。が、私が言っているのは、例えば日本がASEANの一員になるといった思い切った思考の転換です。いろいろと障害も問題もあるでしょうが、そのくらいの覚悟をするかどうかではないでしょうか。移民とまでは言いませんが、労働力の移動もより自由にせざるを得ないでしょう。どうしたらこれをうまく管理できるか、よくよく考えないといけませんが、必要な時だけ使うという訳にはいかないと思います。日本もアジアの一員であることをより鮮明に打ち出してもいい時期に来ているかもしれません。
 もう一つは、身の丈に合った生活水準に受け入れるということです。これは何も否定的な意味で言っているのではなくて、日本の生活水準は世界的に見てもすでに相当高いレベルのところにいる訳ですし、ものはもう有り余るほどに溢れています。しかし、この状態を維持することもそう簡単ではありません。個人の生活もですが、医療や年金、介護といった公的なサービス水準を維持していくのは非常に難しいかもしれません。
 どちらの道を選ぶにせよ、われわれもそれなりの覚悟をせざるを得ません。
 グローバル化とか、それに伴う規制や制度の改革については、私自身は無条件に無批判に賛同する立場ではありませんが、少なくともグローバル化の流れは止められないということを前提にすれば、アジアの一員として生きる道を選ぶしかないのかもしれません。
 個人的には、実は「足るを知る」方に惹かれるのですが、この国を元気にするためには、そんなことを言っている場合ではない、とお叱りを受けるかもしれませんね。
 いずれにしてもこの国は正念場に差しかかっていることにまちがいはないようです。

2014年9月

 8月末になって一挙に涼しくなりました。広島では豪雨による大災害が発生して、大勢の犠牲者が出ました。まだ行方不明の方もおられます。心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
 さて、いよいよ第二次安倍内閣における初の内閣改造を控え、永田町は何となく落ち着かない雰囲気が漂っています。3年3か月野党だったこともあって、いわゆる入閣適齢期の人が60人もいると言われています。しかし、20か月改造がなかったのは、少なくとも近年では異例の長さなのだそうですが、外国ではそんなに頻繁に大臣を交代させるという話は聞いたことがありません。もちろん政治家を志し、国会議員になった以上、一度は大臣になりたいと思うのは誰しも同じでしょう。私とて例外ではありません。そうした地位につかなければ、自分の考えや政策を実現できないわけではありませんが、実態は日本の場合特に、行政府の力が強いのが周知の事実ですから、行政府の長になることが政策実現の近道であることは間違いありません。
 問題はそれにふさわしい知識や経験や見識を持った人がその地位につくかどうかです。そうでないと、結局は官僚の言いなりになり、官僚から見れば、自分たちの言うことを黙って聞いてくれる大臣がいい大臣だということになります。まあ、この件はこれくらいにしておきます。
 ところで、話は変わりますが、日本はこれからどうやって成長を確保していくのか、人口が減少し、高齢化が進む中で、成長のエンジンを何に求めていくのかを最近しきりと考えるようになりました。需要が増えなければ成長しない。自動車も家電も買い替え需要くらいしかないし、住宅もそうでしょう。食べる物も人間の頭数と食欲に限界がある限りむしろ減少していく。では着る物はどうか、男は毎年流行のものを買い替えて着るわけではないですが、これに関しては女性の洋服に対する需要は限界がないのかもしれません。もう一つは、高齢者の教育需要が増えるのではないかという気がします。私に限らず、「ああ、若いうちにもっと勉強しておけばよかったなあ」という声を、特に団塊の世代の人たちの間でよく耳にします。これは相当高いニーズがあるのではないでしょうか。しかも定年退職してから、また学校に通うというのは精神的にも肉体的にも元気を取り戻すことにもなるのではないでしょうか。
 他にもまだあるのかもしれませんが、少なくともこの二つの分野はまだまだ日本では需要が増える可能性があると思います。
 法人税減税や経済特区もいいですが、こういう分野を刺激してもう一度日本に元気を取り戻してはどうでしょうか。改造を目前に控えて、ふとそんなことが頭に浮かびました。

2014年8月

 7月末から今週の初めまで、モザンビーク、南アフリカ、ナミビアの出張が入ってしまったために遅くなりました。
 9月の初めにも内閣改造が予定されているので、多分外務副大臣としての出張はこれが最後だろうと思います。10か月で10回の海外出張だったので、ほぼ月一回のペースでアジア、大洋州、アフリカを回ったことになります。国数にして18か国でした。この経験を通じて実感したのは、外交というのはやはり相手と直に会って話してナンボの世界だということです。当たり前と言えば当たり前ですが、実際にはそれがままならない相手もあるのは非常に残念なことです。私自身も、担当国であるにもかかわらず、これまで中国や韓国政府の要人と話をする機会が持てないまま来てしまったのは異常なことだと思います。
 普通の人間関係もそうですが、偏見や思い込みや意地の張り合いによるにせよ、もしくは戦略的、意図的な選択によるにせよ、あえて関係を改善しようとしない、あるいはむしろ悪化させようとする試みは、最終的にはどちらにとっても良い結果はもたらさないと思います。
 いずれにしても、外交の基本は相手と仲良くすることではないでしょうか。
1989年にベルリンの壁が崩れ、東西冷戦は終結したと言われました。自由主義、民主主義が(共産主義に対し)勝利を収め、歴史は終わったとさえ言われました。しかし、その後の世界は冷戦時代以上に混沌とした状況に陥っていて、ますます混迷の度を深めていっているように見えます。いわゆるグローバリズムの進展の中で、どの国の政府も自国内の問題でさえコントロールするのが難しくなってしまいました。
 そういう意味では、むしろ歴史はこれまで経験したことのない未知の領域に踏み込んだということかもしれません。しかし、それぞれの国は相変わらず古い価値観や国益に基づく動きしか取らないので、問題の所在と対処方法の間に大きなギャップが生じているような気がしてなりません。
 誰もが本当のところは、もう放り出したくなっている気分かもしれません。アメリカでさえ、他国のことに手出しはもちろん、余計な口出しするのはやめようとしているように見えます。
 世界がどこに向かおうとしているのか、残念ながら私にも分かりません。ただ一つ言えることは、日本も、今では懐かしいものとなってしまったはずの、あの(ひょっとしたら今も?)お気楽な思考停止状態では生きていけない、ということでしょうか。

2014年7月

 早いもので今年ももう半分終わってしまいました。相対性理論ではありませんが、年齢を重ねるごとに時間の経過が早くなっていくような気がします。思えば子供の頃は一日が長く充実しているように感じられたのは、日々新しい体験をしていたからかもしれません。
 ところで、今日7月1日は、我が日本国にとって大きな歴史の転換点になるかもしれない日となりました。いわゆる集団的自衛権の行使容認をめぐって、これまでの憲法解釈の変更が決定されようとしています。ここ議員会館の外の歩道には閣議決定反対の人たちが大勢集まって抗議の声を上げています。
 歴史に“if(もし)”は許されませんが、もし、あの時ああしていれば、もしあの時ああしていなければ、と考えてみることは許されるでしょう。私たちは今こそ、この「もし」を駆使して想像をたくましくすべき時かもしれません。
 明治維新によって国際社会にデビューしてから、日本は常に自分たちが外からどう見られているかを気にして生きてきたような気がします。そして、一時期それを気にしなくなった結果、破滅へと突き進んでしまいました。
 戦後も一貫して外からの目を意識して生きてきたような気がします。それが証拠に、本でもテレビでも、外国人が日本をどう見ているかという内容のものには総じて高い関心を示す傾向があるようです。国際社会の一員として、また諸外国から評価される国になりたいと思うことは、決して恥ずかしいことでも悪いことでもありません。むしろ常に外を意識して行動することは大切なことではないでしょうか。
 戦後の日本が諸外国からどう見られ、どういう国だと受け止められてきたのか、私たちはもう一度検証してみる必要があるのかもしれません。
 普通の国とは何なのか?普通でない国とは何なのか?
 もちろん国家も、人間と一緒で、独りで生きてゆくことはできません。どういう付き合い方をするかは、その人、その国の判断によりますが、やはり外からどう見られているかが重要だと思います。
 現実論も大切ですが、日本は今、戦後70年を迎えようとするなかで、国家としての見識を示すことが求められているような気がして仕方ありません。
 外から聞こえてくるデモ隊の声を聞きながら、誰から見ても恥ずかしくない国にしたいものだと改めて肝に銘じた次第です。

2014年6月

 マレーシア、ラオスへの出張が入ったために遅くなってしまいました。
 マレーシアでは、同国の国際問題研究所主催のシンポジウムに出席し、我が国の最近の外交・安全保障政策について講演し、その後質疑応答も受けました。
 政府関係者の会議ではなく、シンクタンクや大学の研究者の集まる会合だったため、それほど激しいやり取りがあった訳ではありませんが、それでも、日本の最近の集団的自衛権や安全保障政策に対する質問が相次ぎました。
 南シナ海での最近の中国の動きや、東シナ海での防空識別圏の設定やそこでの中国の動きなど、力で現状を変更しようとするような動きに対し、あくまでも法に基づく対応を強調するとともに、アセアン(東南アジア諸国連合)が一致結束して対処すべきであり、日本もそれを支持する旨表明しました。
 最近のウクライナや南シナ海での動きは、何か19世紀から20世紀初めころにかけての帝国主義時代を彷彿とさせます。何のためにこういった行動に出るのか、こうした行動の結果、一体誰が得をするのか、これまで長い間かかって築き上げてきたルールに挑戦し、国際社会で孤立する危険を冒すだけの意味があるのかどうか、その真意が問われなければなりません。
 ところで、ラオスという国は初めて訪問したのですが、一言で印象を言いますと、ちょうど日本の昭和30年代のような、なにか妙に懐かしさを感じさせる国で、私は好感を持ちました。インドシナ半島の内陸部に位置しており、海には面していませんが、中国やベトナム、タイやカンボジア、ミャンマーとも国境を接する人口650万ほどの小さな国です。首都ビエンチャンは高層ビルもなく、他の東南アジアの国の首都を見慣れた目には非常に新鮮で、高く広い空が印象的でした。街は掃除が行き届いており、この国の人たちがきれい好きなのが一目で分かります。社会主義国ですが、もともと熱心な仏教徒の多い国なので、人柄は総じて穏やかで、言葉が適切かどうか分かりませんが、すれていない印象を受けました。アセアンの中では、中国寄りだと言われることもありますが、日本に対する期待は非常に大きいものがあると感じました。それは、何も政府の援助ばかりではなく、日本企業の進出に対する期待感も最近とみに高まっており、現に少しずつ日本企業の進出も加速しています。
 ただ、まだまだインフラや様々な行政組織、制度も未整備な面が見受けられます。アセアンは2015年の共同体発足を控え、連結性を強化しようとしており、ラオスはその位置からして存在価値を高めつつあります。日本は今こそこの国に有効な支援の手を差し伸べる時かもしれません。
 ラオスの人たちは感謝の気持ちを忘れない人たちだと強く感じて帰ってきました。

2014年5月

 ゴールデンウィークの真ん中ですが、4日から東ティモールとフィリピンへの出張を控えていることもあり、通常通り事務所に出てきています。議員会館も閑散としていて、大半の議員は地元か海外に行っているようです。来客もなく、久しぶりの一人の時間をちょっと楽しんでいます。
 ところで、昨夜BSテレビの番組に出演しました。見ていただいた方もおられるかもしれません。同じ番組に昨年末にも出たことがあるのですが、毎度、政府の立場ではなかなか答えにくいことを聞かれます。まあ、聞く方は答えにくいことを聞いてニュースのネタになればと思っている訳ですから当たり前と言えば当たり前なのですが。
 その中の一つにオバマ大統領訪日の成果についての質問がありました。もちろん、日本政府としては日米同盟の強化、再確認ができたという意味で大きな意義があったということです。特に尖閣の問題について、これまでもアメリカの他の閣僚から同趣旨の発言はありましたが、大統領が自ら安保条約の適用を明言したことの意味は大きかったと言えるでしょう。
 今回のオバマ大統領のアジア歴訪は、アメリカがこれまで発信してきたアジア重視政策を大統領が自らの身をもって同盟国や友好国に具体的に提示する機会だったと思います。他方で、それによって反発が予想される中国に対しても一定の配慮をしていたとも思います。
 最近のアメリカのある新聞(ウォールストリートジャーナル)の世論調査では、アメリカの国際問題への関与を減らすべきが47%、増やすべきが20%以下で、役割を縮小すべきだという意見は過去最高となったそうです。 それに加えて、今後、軍事予算の大幅な削減が予定されています。これはアメリカに限りませんが、日本も含め、西側先進国で軍事予算を今後大幅に増やす余裕のある国はまずどこもないのではないでしょうか。だから、という訳ではありませんが、力による現状変更の試みは、力を行使した国は、その時は得をしたような気分になれるかもしれませんが、長い目で見れば、結局誰の得にもならないということを国際社会が一致して分からせなければなりません。
 最近の一部の国の動きを見ていると、まるで19世紀から20世紀前半の頃の、歴史の教科書でしか知らなかったあの帝国主義時代に逆戻りしたかのような感じさえします。
 これが人間が学んでいないからこうなったのか、学んだ結果こうなったのか私にはよく分かりません。まあ、しかし、いくら時代が進んでも人間は同じような理由や原因で罪を犯したり、喧嘩したりを繰り返しているのですから、それと同じことなのかもしれないですね。残念ながら・・・

2014年4月

 4月に入って、桜も満開になりました。
 さて、朝から春の嵐を思わせるような激しい風と雨に見舞われた先月30日、近畿自動車道紀勢線の最後に残されていた区間、紀伊長島と海山の間が供用開始となり、勢和多気から尾鷲までの全線が開通しました。これと昨年9月に供用された尾鷲―熊野間と合わせて、尾鷲市内の一部を除いて熊野まで高速道路が開通することとなりました。
 最初に地元の皆さんが要望活動を開始して以来、40年近くに及んだ東紀州地域の悲願が達成されたことになります。ここに至るまでの関係者の皆さんのなみなみならぬ努力と協力に心から敬意を表したいと思います。
 私自身も、初めて選挙に出た時は、勢和多気から紀州に向けては高速道路は1メートルもなく、国道42号線を走って、伊勢から尾鷲までは2時間、熊野までは3時間近くかかったことを思い出します。10年一昔と言いますが、まさに夢のような思いです。
 この道路の完成までには、しかし、紆余曲折もありました。やれ採算性が取れないのではないか、無駄な公共事業ではないかと言われたり、特に政権が交代した時には、ひょっとしたら、工事が途中でとまるのではないかと心配された方も大勢おられました。
 日本でも有数の豪雨地帯を通る道ですから、既存の42号線は大雨に見舞われると通行止めになり、他に迂回ルートもないのでこの地域はその間陸の孤島になってしまいます。救急車も消防車も走れません。現に平成16年の台風による大雨によって42号線の尾鷲―海山間の一部が崩落したことがあり、その折は車の通行が完全に遮断されてしまい、大変な不便を余儀なくされました。去年も当時の崩落現場の近くでがけ崩れがありましたが、既に尾鷲と海山の間は高速道が開通していたために事なきを得たのは記憶に新しいところです。
 この道路は、文字通り「命の道」です。この地域は将来南海トラフの地震と津波が押し寄せる危険性が高く、そのためにも強靭な交通網の整備が急務とされています。
 地域住民の安全と安心を守る基盤インフラであることはもちろんですが、この道路が三重県南部全体の将来の希望につながる道となることを願って止みません。
 まだ、熊野から先、新宮までいわゆるミッシングリンクになっていてつながっていません。一日も早くこの「熊野新道」を完成させることに、これからも力を注いでいきたいと思います。が、ともあれ、紀勢線の開通を地元の皆さんとともに無条件で喜びたいと思います。開通おめでとう。

2014年3月

 まるで早春賦の歌詞そのままのような天候が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
 早いもので、外務副大臣に就任してから5か月が過ぎました。その間、ほぼ一か月に一回のペースで海外出張に出ています。担当地域はアジア大洋州とアフリカなのですが、残念ながら一番近い国二つにはまだ行く機会がありません(韓国には国際会議では行きました)。確かにこの状態は異常と言えば異常です。 いつの間にか、この東アジア地域は世界から見ても大きな緊張をはらんだ地域になってしまいました。しかも、竹島、尖閣のことはともかく、歴史認識などというおよそ議論の収束などあり得ないことでいがみ合っているのは、本当に異常としか言いようがないかもしれません。
 私自身は戦後の生まれですし、戦前、戦中に何があったのかは本の中でしか知りません。戦争を経験した両親も他界し、直接当時の話を親しく聞ける人も身近にはいなくなりました。東アジアで、経済的に見てもGDP世界2位と3位、15位の国が政治的にいがみあっているのは、同じ地域の他の国はもちろん、世界中の国から見ても困ったことであるのは間違いありません。それに、実際には少なくとも経済の面では、3か国はそれぞれに補完関係や依存関係にあります。それはお互いに分かった上で、激しい言葉のやり取りやネガティブキャンペーンをやり合うのは、一体どんな意味があるのでしょうか。一つ考えられるのは、国内の問題から国民の目をそらさせるために、ということですが、結局それでは何も解決しないし、ナショナリズムを制御不能なレベルまで追いやってしまうかもしれない危険性をはらんでいます。
 最近は日本の国内でも、特に若い世代にそうした傾向が見られるそうです。 国際政治というのはもともと非常にもろいシステムの上に成り立っています。力の均衡が崩れると、弱くなったところに相対的に強い勢力が取って代わろうとするものです。今は、世界のパワーバランスが代わろうとしている時なのかもしれません。それが世界にとって望ましい方向に行くのかどうか、まだ今のところ分かりませんし、誰かにとって望ましいことが他の誰かにとっては望ましくないことも多々あります。
 東アジアのこの緊張と勢力図の変化が、果たして18世紀以降世界を支配してきた西欧文明とそれに基づく国際システムに対する挑戦の一環なのか、そして実際にそれを変えるだけの普遍性とパワーを世界の中で持ちうるのか、大きな歴史上の潮流の変化と言えるのか、しっかりと見極めて対応していきたいと思います。
 日本も正念場だと思います。

2014年2月

 寒い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、先日(1月29日〜2月2日までの間)アフリカのエチオピアとタンザニアを訪問してきました。
 エチオピアは二度目、タンザニアは初めての訪問でした。それぞれの国の首相や大臣等政府関係者との会談をはじめ、日本の経済協力案件のサイト視察や青年海外協力隊の皆さんとの懇談など充実した出張でした。
 私自身はもう今から30年以上前に、外務省の経済協力局(当時)に出向していたことがあって、その時もアフリカと中近東を担当していたので、自分が手掛けた経済協力案件の名前が出てくると、何か懐かしい人に久しぶりに出会ったような気分になりました。ただ、当時と違うのは、最近ではどのアフリカの国も、日本からの民間投資を呼び込みたいという要望が強くなってきたことです。アフリカは日本から見ると、地理的に遠いこともあって、アジアの新興国のように目立ちはしませんが、着実に経済成長を続けていますし、天然ガスや石油、その他の鉱物資源も次から次へと発掘されてきています。
 さらに、まだまだこれからですが、将来の日本製品の消費地としての可能性も徐々に高まってきているように見えます。
 ここはひとつ、日本としては息の長い協力と取組が必要なのかもしれません。
 それにしても、今回はそういう機会もありませんでしたが、アフリカの広大な大地をこの目で見、また最近日本では見られなくなった澄み切った夜空の満点の星を仰ぐとき、自分が日々携わりあるいは煩わされている営みのなんと小さいことかと感じさせられることがあります。幸か不幸か、私自身はそこまで行きませんが、そうしたアフリカの魅力に魅せられ、取りつかれて、住み着くか、そこまで行かなくとも頻繁にアフリカを訪れるようになる方も結構おられるようです。
 もう一つ考えさせられるのが、経済発展や経済成長とは何かということです。西洋流の洋服を身につけたり、生活様式に変えていくことが果たして本当の成長なのだろうか、と考えさせられることがあります。
 それと、経済成長や発展の目的が人間を労働の苦役(そうとも思いませんが)からできるだけ解放しようということであれば、本当にいわゆる先進国ではそうなっているか、という疑問も出てきます。
 いずれにしても、いろんなことを考えさせられる今回の出張でした。

2014年1月

 明けましておめでとうございます。穏やかな年明けとなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 それにしても、年々正月を迎えるにあたっての高揚感というか、わくわくするような気分が薄れてきているような感じがするのは、私だけでしょうか?
 昔と違って、正月を迎えるための大掃除や障子の張り替え、あるいはおせち作りなどに手間暇かけることがなくなったのもその原因の一つかもしれません。また、正月には晴れ着や余所行きの着物や洋服を着ることもなくなったのも、わくわくしなくなった理由かもしれません。子供の時には、お年玉を当てにして、買いたい玩具を何日も前から決めていたものでした。今は、どうしてもお年玉で買いたい物というのもないのかもしれません。言葉を変えて言うと、日本人も豊かになったのだと思います。正月やお祭りや誕生日などのいわゆる晴れの日の存在感が薄れてきて、晴れの日とそれ以外の日の区別が希薄になってしまったのかもしれません。
 日本が豊かになるにつれて、皮肉なことに、日本の本来の伝統や文化がどんどんと存在感を弱めていっているような気がして仕方ありません。
 以前は家族が外で食事をしたり、お酒を飲みに行ったりするのは、年に何回もなかったような気がします。
 そういう意味では、現代は毎日がお祭りみたいなものなのかもしれません。しかし、実際には気持ちの高揚感もなく、結局退屈な満たされない日々を送っている人が大半だというのが現実ではないでしょうか。
 物質的には満たされてしまった状況で、情熱や気力を振り向ける対象を見つけるのは容易ではありません。スポーツや祭やイベントに熱中することはできても、一過性のもので終わってしまうことが多いようです。
 ひょっとすると、人間は文明の大きな岐路に立たされているのかもしれません。特に産業革命以後、数世紀にわたって人類を支配してきた物質文明に対する疑問が投げかけられているような気がします。
 満たされないことによる不幸と満たされてしまったことによる不幸、どちらも不幸であることに変わりはないのですが、どちらの不幸がより深刻かということでしょうか。
 しかし、昔を懐かしんでいるだけでは何も解決しません。モノに代わって、人間が情熱と気力を向けられる何かを提示していくことが、これからの政治に課せられた課題なのかもしれません。
 新しい年を迎え、一夜、ふとそんなことを考えてしまいました。
 本年が皆様にとって幸多き年になりますように。

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